
Agape International
Christian Fellowship
私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中にはいった。
そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。
非常に多くの集団であった。
エゼキエル 37:10
大阪府枚方市にある、バイリンガル(日本語・英語)で日曜礼拝を行っている
小さな単立のキリスト教プロテスタント教会です。
すると、主は私に仰せられた。
「まだ若い、と言うな。
わたしがあなたを遣わすどんなところへでも行き、
わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。彼らの顔を恐れるな。
わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。
―主の御告げー」
エレミヤ1章 7 節 8 節
失う時
この数か月、体調がずっとすぐれません。先週医者に行きましたが、今のところ特に異常は見つかっていません。倦怠感や気力減退、眠気やだるさがずっとまとわりついて、自発的にやるべき仕事ができない状態が続いています。いつまでこのような状況が続くのでしょう。もう以前の爽快に活動できる感覚には戻れない感じです。もしかすると、これを、「老い」や「衰え」というのかもしれません。体力や気力の何かを失ってしまった感じです。
頼りにしているものを失う時、私たちは進む道を失うかのような感覚に捕えられます。そして、なんとか、その頼りにしていたものを取り戻そうと努めるのです。けれども、それを取り戻すことができないとわかると、絶望してしまいます。そして進む当てを失う感覚に落ちるのです。
聖書は、失うことをそれほど否定的には捉えません。むしろ肯定的ですらあります。自分の頼りにしているものを失うほどに、私たちはイエスの力を見出す可能性が増して行き、自分の力に頼まず、すべてをイエスにゆだねて生きようとして行くなら、キリストの力が私たちに現わされて行くようになると教えています。この世で失うことは、神を得て行くことにつながるのです。
では、それは本当なのでしょうか。果たして、現実に私たちの人生の中にそのようなことが起るのでしょうか。それを信じて、私は生きて行くのです。キリストの十字架が示す、敗北が大勝利に、死が復活に、闇が光に、憎しみと失望が赦しと希望に転換されるという真実を、私は人生の表でも裏側でも味わい、知ってきました。なおも、もっとそれを知りたいのです。
ヨブはすべてを失い、なお賛美して、言いました。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」そのヨブは、その後、最後の最後に、驚くべき神の恵みを受けて、生涯を終えたのです。
Pastor Takeshi